相鉄:さよなら・ありがとう5000系

2月8日(日)


富士ぶさの撮影を終えた後、相鉄線内へと向かいました。

相鉄横浜駅に着いたのは、11時15分頃でした。
相鉄5000系の横浜着は11時45分頃。各駅停車では、場所取りも含めて間に合わなさそうだと思い急行に乗車。急行の横浜の次の停車駅は二俣川二俣川で下車するしかないと思ったのでそのまま下車。車内で見たところ、上星川の方が良かったとも思いましたw
そのままカメラをセットし、5000系がやってくるのを待っていました。
11時37分、5000系の急行 横浜行きが入線。シャッター音が一斉に響いてきました。

結構いい感じに撮影できました(^^;
HMは旧5000系の塗色をイメージしたものでした!

二俣川で5000系関連のグッズを購入したりしていました。
あとモヤ700系のBトレも購入しました。


その後、横浜行きの各停に乗車し、5000系の返しをきっちりと撮影出来そうな駅を車両最前部で探してみましたが、その隙に5000系は通過して行ったのでした・・・・・・
仕方ないので、帷子川が見えてきたので途中の星川で下車。




その後再び二俣川へと戻り、駅中のおにぎり屋で昼食をとったり、5000系の運用を確認したりした後、今度の5000系はいずみ野線の運用であるので、いずみ野線内へと向かうのでした。
いずみ中央駅で下車しました。撮影者はすでに10名以上いました。ギリギリ入れました。
縦アンでカメラをセットした後、13時47分、5000系の快速 湘南台行きが入線してきました。

Vに決まりました!

車掌の発車合図も撮影。


その後、横浜へと戻り帰宅するのでした。


車体はアルミ車体に変わっているものの、制御装置はVVVFに取り変わっているものの、旧5000系とはルーツは大分変わり、吊り掛けの味は薄れていますが、台車は半世紀以上もの間、旧5000系の台車をそのまま流用していました。
1955年から現在まで、台車だけでも通勤車両でずっと流用していくということは、そう容易ではなかったようです。
徐々に仲間は減っていったものの、引退までの約3年間5554Fは予備者として5000系の籍として一編成のみで頑張って走ってきました。
1955年から(車体は1972年〜)2009年2月11日までの54年間(車体は37年間)、本当にお疲れ様でした!
そしてありがとうございました!
そして5000系が保存されてくれることを祈ります。